「全ての取引は等価交換」
何処ぞの錬金術師が言いそうなセリフですけど、私自身全くその通りだと思う訳です。
暑い、、、喉が乾いたから自販機でお水買おう
100円と交換してお水を飲むわけです。
私はそこに100円の価値を感じて取引します。
観光地だと150円ぐらいしちゃいますよね。
それでもきっと暑くて喉乾いていたら買っちゃいます。
高いとは思うかもですが、その価値を認めたから買うんです。
このルールの隙を突けないだろうか?
話は変わって、私はガソリンスタンドの会社に勤めておきながら運転が超苦手です。
1時間も運転すれば物凄く疲れますし、ヒヤリハットの連続です。
当然?ながら私以外の多くの社員さんは運転を苦痛に感じないどころか人によっては「好き」でさえあります。
200km?近所だよね?ぐらいの感覚です。正直理解できません💧
超尊敬します。
しかしながら反面、人材育成やら、計画の策定、それを実行して、仕組み化、他で再現するのは得意な方だと思っています。
得意ったって、世の中で上から数えた方が、みたいな事ではなく、考える事や実行する事が楽しい、ぐらいなもんです。
会社ではありがたい事にこの部分を評価して頂いて割と好きに働かせて頂いています。ありがたい。
私にとって運転するコストは100かも知れないけど、
他の人に取っては50も掛かっていない、かも知れない。
逆に私にとって楽しくさえある事が、相手にとって価値のある事かもしれない。
これは、
「全ての取引は等価交換」
だけど、
「提供するモノゴトにおいて、価値を決めるのは相手である」
と言う事なんだな。と。
あたりまえじゃん!って思うでしょ?
でも、びっくりするぐらい苦手な事を我慢してやってる人が多いように思うんですよね。
私にとって低コストだけど、相手に取って価値の高い事とは?
家からおいしい湧き水が出る、山林を持ってて山の幸が豊富に取れるならそれを取引すれば良い、、、けど、物の資源が無い方で身ひとつで戦うって方は、得意な事だけやった方が良いとなる訳です。
(苦手な事に向き合う事に価値が無いとは言いませんよ)
・他の人にとって難しかったりしんどい事で、自分にとって苦痛じゃない行動
・他の人にとって手に入れるのが難しい物で、自分にとってありふれた物
ありませんか?
客観的な視点を持っていて自己分析できれば最高ですが、難しい方は過去のやりとりを思い出してください。
知り合いや同僚から「すごいね」「大変でしょう」って声掛けられて、「?、そんな事ないですよ」って返した経験ありませんか?
自分に得意な事なんてあるだろうか?って方は
上記のような所を取っ掛かりにする事で楽しい生活が手に入るかもってお話でした。