既に多くの人が取り上げているテーマなのは知っているけど、それでも書きたかった。
理由は単純で、その思える人が増えればきっと楽しいだろうな、と思ったから。
元々私はゲームが大好きで、夜通しゲームやって朝しんどくなって学校行かないとかやってたタイプ。もちろん親には怒られた。
中でもRPGが好きで、謎を解いたり、レベルを上げて良い装備揃えて敵を倒すのは爽快だった。
小中学校の頃はそれこそFF、Mother1,2には大変お世話になった。
勉強が手につかなくなる程に。
特にMother2は、内蔵電池が切れセーブデータが保存されなくなりすごくショックを受けたのと、もう十分遊んでいたのに改めてソフトを買い直すぐらい入れ込んだ。
Mother2でふしぎなキャンディとこなざとうを使った無限にステータスアップできる裏技を延々やって最強のキャラを創り上げている途中で、あ、作者には勝てないんだと言う事に気付いた事は凄く印象に残っている。
高校から大学ぐらいは、対戦型カードゲームにのめり込んだ。
勉強が手につかなくなる程に。
もちろんビデオゲームもやったが、いわゆるゲーム機を買ったら人生終わる事が何となく判っていたので、PCの信長の野望とかのSLGをちょろっとやるぐらい。それも結局裏技やらゲームの改変(チート)で異常に自分を強くしてすぐに飽きてしまっていた。
ビデオゲームは作者との戦いだったが、カードゲームは作者が作ったルールの中で相手と戦う。
試合前に今のトレンドを意識してどうやって勝とうか考え、試合で相手の様子や癖を見て戦い方を変え、その中でどんなに考えていてもカードの引きと言う運に左右される部分まで含めて非常に面白かった。
カードゲームは面白かったが、飯が食える程のプレイヤーにはなれず(そこも目指していなかったし。)、真面目に生きようと就職して引っ越しした事を機に荷物になるからとカードゲームからも離れた。
ゲームからちょっと離れるが、就職したときに決めた事があった。
「1年で店長になろう」「どんなにしんどくても5年は働こう」と。
これが良かった。
早く店長になりたかったから、自分自身に「店長の仕事ってなんだ?」と問いかけ続ける事ができた。
引っ越した事で辞めるに辞められない状況の上、自分で5年働くって決めちゃった事で、嫌な事も「どうすればこの状況を変えられるだろうか?」と考える事ができた。
学生時代をゲーム漬けで過ごした事で決して頭は良くなかったし、要領も悪く、体力も無かったけど、上の条件(ゴール)設定のおかげで仕事をゲームに置き換える事が出来たんじゃないかと思う。
ありがたい事に2017年10月時点で10年目だし、
仕事もある程度自由度高くやらせて頂いている、非常に楽しい。
日頃の不摂生が祟り、医者からは尿酸値が高いと言われているけど、それもゲームだと思えばお水をたくさん飲んで尿酸値を下げるゲームで、痛風の症状が出なければOKと考えると割りと楽しめそう。何かを間違えている事は判っている。でもここで私が言いたいのは、折角こんなに面白いゲームが目の前にあるのに楽しまないのは損では無いかと言う事。
ちなみにこの文章の下書きは、エアロバイクを漕ぎながら入力した。
これを思いついたのは、風呂上がりに体重が98kgあった危機感と、ほっといてるブログ少しは進めたいなと言う欲求を同時に解決出来ないかと考えた末の苦肉の策。
下書き入力終わるまでエアロバイクを漕ぐゲーム。
構成は後でやるとして、素材だけはここで書ききってしまいたいという想いで始めたけど、このゲーム第2回があるかは不明。
ゲームが好きなのに、そう思えていない人は恐らく以下の3つが原因じゃないかなと思う。
1,やり直しができない
2,ゲームシステムが複雑
3,勝利条件がわからない
1,やり直しができない
・リセットできない ・セーブできない
だから、ビデオゲームだったら駄目ならセーブポイントからやり直せばいいやと躊躇なく取れる選択肢が、リアルだとまぁ取れない。
でも心配しないで欲しい、命まで取られるケースは少ないと思う。
2,ゲームシステムが複雑
自分のステータスを確認しようにもステータス画面は存在せず、いや、もしかしたら履歴書や健康診断結果がそれに当たるのかもしれないけど、その裏側には遥かに複雑な隠しパラメーターが存在している。
自由度も高すぎ。取れる行動も無限にある。とは言うものの1のやり直しが利かないと言うルールのおかげで下手な行動は取れないし、そもそもパラメーターが低いと選択肢に気付け無いこともある。
ゲームだったら体力0になるまで元気に冒険できるのに、リアルだと疲れたら効率下がる。
システムが複雑、の中に不公平と言うのも入るかもしれない。自分ではどうしようもう無いことが降り掛かってきたり、そもそも目に見えないながらも明らかに自分のステータスが低いとか。
感情も複雑さを増す要素ですよね。
ゲームだったら、本当はそう思ってないけどこの選択肢を取ると得だからと選べる事もあるけど、リアルだと正解は判っていても感情にコントロールを奪われて思ったような行動を取れなかったりします。
3,勝利条件がわからない
ビデオゲームだったら、大体目的ははっきりしている。
自由度の高いゲームでさえ、必ず筋はある。
これがことリアルだと途端に見えない。
かんたんに思いつくのは、幸せになりたい、だけど、どうなったら幸せかははっきりしていない。
何かで1番になる、と設定しても、プレイヤー人口が凄まじく多いので達成できるのは一握り
生活するのにコストがかかるので、いつしか「生活する事」が目的になったりする。
現状維持することを楽しむってなかなか難易度高いなと個人的には思ってしまう。
収入が多いと自由度あがりそうだけど、収入だけが幸せの全要素ではなさそうだし。
逆を言えば、
1,自分が心から達成したいと思える目標を持ち
2,その目標を達成するために必要な条件を洗い出し
3,その条件を達成するための行動を決められるか
が、人生をゲーム化するコツではなかろうかと。
あと、どうせなら楽しもうと言う姿勢でしょうか。
現状を維持するためのコストを最小化
目標達成に割けるリソースを最大化
目標達成のための効果的な取り組みをそのリソースで実行
小さい頃からゲームが好きで、夜通しゲームやってて朝学校行くのしんどくて休んだ事とか結構ある。
それでも改めて振り返るとクリアしたゲームは殆どない。
他人が考えたゲームにお金を払って楽しめるなら、自分が設定したゲームの方がもっと楽しいはず。
※最後に
誤解を与えたくないので書きますが、
どんな人にでもこの考え方が有効だ、なんて言うつもりはありません。
そんな気持ちになれない人も居ると思います。
人生をゲーム化する事に不謹慎さを感じる人も居るんじゃないでしょうか。
それでも私が書きたかったのは、この考え方で救われる人もきっと居ると思えたからです。